「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」(著:幡野広志)の感想レビュー

ぼくが子供のころほしかった親になる

「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」(著:幡野広志)の感想レビュー

2018年8月21日に発売された、「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」(著:幡野広志)

限りある時間の中で、最大限の愛情を注ぐ親としての深い愛が感じられる一冊でした。

幡野広志さんとは?

私も最初はFacebookの記事で流れてきた投稿を見て、初めて幡野さんを知りました。

最初に読んだ記事がこの記事で、紙ではなくWEB上に手紙を残すという斬新な手法と、書いてある中身の重さに驚きました。

 

そして、ガン(多発性骨髄腫)になったという記事。

この記事の中にあった、

一番の気がかりは当然ながら1歳半になったばかりの息子だ。
父親として教えるべきことが山ほどあるのに、息子に申し訳ないと思う。
学校では勉強や集団生活や理不尽さを学ぶことができるけど、人生で大切なことは僕が教えたかった。

という文章を読んで、「ガンになって平均余命3年と宣告されて、一番想う相手は息子なのか」という衝撃を受けました。

自分も一児の父として、「はたして幡野さんと比べて、どこまで愛情をもって接することができているのか?」

また、「『まだ時間がある』と思って、ないがしろにしていないか?」を本気で考えるようになりました。

幡野広志さんは父親としてのライバルとして補って余りある存在

幡野さんは写真家であり、猟師でした。(ガンになり鉄砲を置いた、宣言されています)

猟師として、動物や山などの自然と向き合った先で、更にガンという環境に置かれています。

命と、とことん向き合っている方だと思います。

 

その方が、最後の最後(まだ亡くなられてはいませんが)で一番大事にするのが家族です。

 

その幡野さんの置かれた状況・姿勢は、特殊なものではなく、

私たちにとっても同じで、生きること、家族、子どもと向き合える時間は限りあること。

数年か数十年かの違いだけで、有限であることは全く同じであることを改めて考えておかないといけないなと思わされました。

世の中の「ガンに対する姿勢」と戦う

ブログやこの書籍を通して、幡野さんが発信されていることは、子供は奥様への愛情だけでなく、

同じように闘病生活を送る方々へのメッセージも含まれています。世の中の「ガンに対する姿勢」との戦いです。

 

ガンが治るという”水”や、”お守り”、”優しい言葉”。更には”駐車場の障がい者専用レーンに置かれたカラーコーン”に至るまで。

健常者というマジョリティから、病気になってマイノリティにならないと気付かないことばかり。

その多くは「想像力の欠如」なので、聞けば納得するものばかりだけれど、世の人の多くは「健常者→患者」の一方通行だから、なかなか難しい。

人生は自分のもので、全ては自分次第

幡野さんのこの本の中で、息子に伝えようとしていたメッセージで、特に心に残ったのは、

「人生の主役は自分であり、幸せの基準は自分で決める。他人の価値観を押し付けられる必要はない。」

「全ては自分次第であり、意味のないもの、無駄なものに時間と労力、つまり命をかけている場合ではないのだ。」

というメッセージです。

 

時間の無駄は、すなわち命の無駄。

本当に大事なものに、命を懸けるべきだと、

幡野さんが全身全霊で教えてくれていると感じます。

合わせて読みたい「ほぼ日」での糸井重里さんとの対談記事

「ほぼ日刊イトイ新聞」で、糸井重里さんと対談されている記事も、糸井さんならではのアプローチでお話を引き出されていて、めちゃくちゃ面白いです。

是非、合わせて読んでみてください!

 

「幡野さんに負けないくらい、家族に愛情を注いでいるか?」は、生涯永遠のテーマになりそうです。